毛利家のキリシタン大名毛利秀包

一、毛利秀包豊臣秀吉

 毛利秀包(ひでかね)は、永禄十年(1567年)安芸の国郡山城で、父元就七十一歳の時に、継室乃美大方を母に九男として生まれた。

元亀二年(1571年)備後太田家を相続し白井兵庫景俊が秀包の後見人となる。

天正七年(1579年)異母兄小早川隆景の養子となり、小早川藤四郎元総と称し後に元包に改める。

豊臣秀吉は中国平定の高松城水攻めの時、本能寺の変のため急遽毛利家と和睦し中国大返しを行った。

 この時に元包は、毛利家の人質として大阪城へ送られる。

秀吉から元包は大変気に入られ、天正十二年(1584年)の小牧・長久手の戦いに出陣し、功を上げ秀吉の秀の一字を与えられ秀包と改名する。

 その後、秀包は人質を許され、養父隆景に従い秀吉の四国平定に出陣し、その戦功により大津(大洲)城三万五千石の城主となった。

映画「ソーシャルネットワーク」のアジア人女性について  

2月に映画「ソーシャルネットワーク」を見ました。
去年パパラッチに2人の写真を撮られました。
2月のブログアップの時に、映画のことと写真のことを書きました。

フェイスブックCEO 結婚

20.05.2012, 11:54
ソーシャルサイト「フェイスブック」のマーク・ザッカーブルクCEOは友人のチャンさんと結婚した。AP通信が伝えた。
チャンさんは27歳で、14日にはカリフォルニア大学医学部を卒業していた。その同じ日、ザッカーブルグ氏は28歳の誕生日を迎えていた。二人はハーヴァード大学で出会い、9年にわたって交際を続けていた。 チャンさんの医学部卒業祝いとして友人らが招かれたものの、ザッカーベルグ氏の結婚式だとは誰も知らされてなかった。史上最も若い富豪の結婚式はささやかなもので、招待客は100名に満たず、カリフォルニアのパロ・アルトにある自宅で行われた。

マーク・ザッカバーグの友人との会話でパーティーに出かけたとき、いきなりユダヤ人とアジア系女性は
合うよねとの会話が割り込んできます。
そのあとマークは、中国人女性とのおつきあいをしていますし、今写真のように彼女の卒業を待って
結婚をしたようです。意外と堅実な生き方のようです。
今年になってFacebookは、全世界で8億人になり遅れていた日本でも1000万人を超えたと言われています。

映画 「ナチス、偽りの楽園」

映画とユダヤ
映画の原題 : 「Prisoner of Paradise (楽園の囚人)」

2003年   アメリカ制作
監督・脚本   マルコム・クラーク


ユダヤ系ドイツ人の俳優・映画監督クルト・ゲロンの生涯を描いています。
当時ナチスドイツに協力したとみられていたユダヤ人の天才映画監督ゲロンの生涯を、
一緒に舞台や映画で働いた人々の証言を基に作った伝記的なドキュメンタリー映画です。

クルト・ゲロンは1897年にドイツ・ベルリンに生まれ、はじめ医学生として学んでいたが
1920年に舞台俳優となります。
1920年代から1930年代にかけてコメディー俳優・映画監督として人気を博します。
マレーネ・ディートリッヒと「嘆きの天使」で競演しています。


ドイツではユダヤ人への締め付けがだんだん厳しくなり、アーリヤ人以外は
仕事をさせないとユダヤ人追放の指示があり財産を置いたまま
無一文でフランスに逃れます。
そんな中でも、ゲロンは友人をアメリカのハリウォッドに送り出す援助をします。

その後友人らの尽力によりゲロンは、ハリウッドから招かれますが、招聘主がゲロン夫妻に
一等室の切符を用意しなかったため断り、ヨーロッパに残ります。
これがゲロンの運命の分かれ道になります。
仕事を探してオランダに住み、友人たちはいかにドーバー海峡を渡って逃げるかを
考えているときに、辛抱してれば流れが変わりナチスが弱まることを期待していた。


ゲロンの思惑とは別に、ナチスドイツは1942年1月20日にナチスの幹部たちが集まり
ヴァンゼー会議を開きます。
ヴァンゼーとは、ベルリンのヴァン湖のことで、昔ゲロンが持っていた別荘のすぐ近くの別荘で
ヴァンゼー会議は開催され、そこで「ユダヤ人問題の最終的解決」が決められ
親衛隊NO.2のラインハルト・ハイドリヒにその実施が指示されます。
その内容は、ヨーロッパにいるユダヤ人を根絶すると言うホロコースト実施計画です。


ついにゲロンもオランダでドイツ軍に捕まり楽園と称された収容所に入れられます。
チェコにあるテレージェンシュタット収容所に入れられました。
そこはドイツに有用なユダヤ人と判断された人々が入る収容所で、通過収容所のような
施設です。
戦争中ですが中立国がユダヤ人をどのように扱っているかを、視察に来るために
ゆるやかに取扱い、国際赤十字をだましました。
赤十字をだませるなら世界を騙せると、テレージェンシュタットの映画を製作する計画を立て
ゲロンを映画監督に指名します。

1944年ゲロンは、テレージェンシュタットの人道性を示すためのナチスの宣伝映画を
製作します。
監督として楽しそうにしろ、笑顔を見せろとまるでナチスの肩をもつような要求を
繰り返しだすためにユダヤ人からは嫌われ、ナチスの手先と言われます。
映画監督の発言なのだが、死の恐怖を持つ人々に笑顔を要求するのは酷というものです。

撮影終了後、ゲロンはアウシュビッツに移送され、到着後すぐに処刑されます。
本人は、ナチス宣伝映画制作に協力したから処刑されないだろうと思っていたようです。
皮肉な事に、SS司令官のヒムラーはゲロン処刑の翌日に、ガス室閉鎖の命令を出します。
1日ずれれば助かったのにと思わずにいられません。
ボタンの掛け違いが、最後まで付きまとったゲロンの人生でした。

映画「約束の旅路」  #1 映画の時代背景

映画「約束の旅路」 #1 映画の時代背景


19世紀・20世紀ともにユダヤ人は大変な迫害を受けます。
屋根の上のヴァイオリン弾き」に代表される帝政ロシアの19世紀後半からのポグロム
シンドラーのリスト」・「戦場のピアニスト」に代表される20世紀のホロコースト
合わせて1000万人近くのユダヤ人がただユダヤ人であるという理由で虐殺されています。
19世紀後半からのポグロムために、ユダヤ系ロシア人のアメリカ移住は250万人以上になっています。
20世紀のホロコーストでは、ヨーロッパ全土からユダヤ人がドイツ・ポーランドに集められて
600万人のユダヤ人が虐殺されました。
第二次世界大戦前からヨーロッパ各地では、反ユダヤ主義運動が起こっており反ユダヤ主義運動とナチスホロコーストのために、
20世紀の初めから1940年頃までにアメリカに移住したユダヤ人は200万人を超えています。
ヨーロッパのユダヤ人は大勢はアメリカに移住しましたが、一部は18世紀頃からパレスチナに移住しています。
フランスでのドレフェス事件を契機に、ユダヤ人の国家を建設する運動が拡大していきます。
当初はアフリカ・マダガスカル島・トルコと候補がありましたが、最終的にはパレスチナへ決定されました。
ユダヤ人国家建設運動」と「ユダヤ教約束の土地への帰還」と言う政治運動と宗教運動が結び付き本格的なイスラエル国独立運動シオニズムとなります。
1948年独立後のイスラエル国家は民主主義の政教分離の世俗国家になるので、ユダヤ人国家建設は、政治運動主導に宗教運動が付帯された国家になっています。


1948年イスラエルの国家独立とともにイスラムアラブ諸国と軍事衝突(中東戦争)が始まります。
イスラエルイスラムアラブ諸国の衝突は、一神教の世界ではたいへんな大変革の出来事です。
それまで千数百年に渡りキリスト教ユダヤ人(ユダヤ教)を迫害してきましたが、ここからキリスト教ユダヤ人を援助する方にまわります。
それまで千四百年に渡りイスラムユダヤ人(ユダヤ教)を経典の民として共存してきましたが、
1948年を境に一転イスラムから見たユダヤ人は抹殺すべき民族として、イスラムアラブ諸国イスラエルの国家・民族の生存権を認めていません。


今日まで四度の中東戦争を繰り返しています。
イスラエルの主張を書いてみます。
1948年のユダヤ人国家建設と同時にパレスチナではアラブ民族のパレスチナ人が土地を追われ難民となりました。
パレスチナ難民をアラブ諸国は受け入れるべきだと言います。
イスラエルアラブ諸国ユダヤ人難民を積極的に受け入れているからーーー。
1948年以前にはアラブ諸国にいるユダヤ人たちは少数ながらも細々生きて住んでいました。
中東戦争が始まってからアラブ諸国にいるユダヤ人たちが迫害を受け難民化しているのです。
アラブ諸国にいるユダヤ人難民を引き取る作戦がこの映画のモーセ作戦で後にはソロモン作戦を実施します。

この映画に出てくるエチオピアを無事脱出したファラシャ(エチオピアユダヤ人)が、スーダンの国で黒人系ユダヤ人と分かると殺されると言うのは、1948年以降イスラムアラブ諸国の中でユダヤ人が難民化しているからです。

映画の時代背景を知ると映画が分かりやすくなります。

映画「卒業」    映画とユダヤ人

アメリカン・ニューシネマ時代
アメリカ映画には、人に希望と夢(アメリカンドリーム)を与えるものがありました。
そこにはハッピーエンドでヒーローが生まれます。
ところが1960年後半から70年代は、「俺たちに明日はない」・「イージー・ライダー
真夜中のカーボーイ」のようなアンチ・ハッピーエンド / アンチ・ヒーローの作品が
主流を占めます。
アメリカン・ニューシネマ和製英語)時代になります。
社会体制や社会規制に挑むちょっとしたカッコよさが描かれながらも、最後には潰されて
人間の無力感や敗北感を描くものです。
映画「卒業」もこの時代の先駆けとして1967年に公開されました。


その後70年代後半ベトナム戦争終結とともにアメリカン・ニューシネマから
「ロッキー」や「スター・ウォーズ」のような個人の可能性を描くヒーローもの
「ニュー・アメリカン・ドリーム」に移ります。


監督
マイク・ニコルズ監督は、父親がユダヤ系ロシア人・母親がドイツ人でナチスユダヤ人迫害のため1039年にアメリカへ移住したユダヤアメリカ人です。
映画「卒業」でアカデミー監督賞を受賞しました。
そのあと「クローサー」・「心の旅」・「ワーキング・ガール」等の監督をします。


ダスティン・ホフマン
ダスティン・ホフマンは主人公のベンジャミン役を演じ、ウクライナユダヤ系とルーマニア
ユダヤ系の血をひくユダヤアメリカ人です。
当時ホフマンは、新人俳優で30歳でこの役を演じています。
「卒業」の演技では、アカデミー賞男優賞ノミネートに終わりましたが、後の「クレーマー・クレーマー」・「レインマン」ではアカデミー賞主演男優賞を受賞しています。


主題歌
ポール・サイモンアート・ガーファンクルは当時「サウンド・オブ・サイレンス」で全米1位とヒットしていました。
映画「卒業」のために作られたのが「ミセス・ロビンソン」でこれも全米トップになります。
「スカボロー・フェア」はイギリス民謡の愛の詩と反戦詩をミックスしS&Gの歌となりヒットしました。
映画の主題歌はポール・サイモンアート・ガーファンクルが歌いともにユダヤアメリカ人です。
幼馴染の二人は当初「トム&ジェリー」の名で活動してます。
それがサイモン&ガーファンクルの名になったのはボブ・デュランだったと言われています。
本名を名乗らないでユダヤ系として成功したデュランを見て、迷った末に「サイモン&ガーファンクル」と言う
ユダヤ系とすぐ分かる人名を前面に出した名前で再デビューしたのです。


映画「卒業」のラストシーンは、反抗の世界ですがーーー。
略奪愛とか花嫁をさらうとか言われていますが、その内実は娘の親の都合から生まれた
親の路線への抵抗であり、ベンジャミンと式途中の花嫁が一緒に逃げる「親からの逃亡愛」です。
社会体制に反抗するような大げさな話ではありません。
大学を卒業したての若いベンジャミン(ダスティン・ホフマン)がエレーン(キャサリン・ロス)に出会い、
今までのいきさつとは別に、エレーンと結婚をしたいとの思いが周りを巻き込んでいく話です。
そしてキリスト教長老派教会での結婚式の最中に、ユダヤ系のベンジャミンが乗り込んで
花嫁と一緒に逃亡する話は、問題になりそうです。


映画の最初の方では、仲の良い両家はベンジャミンの卒業祝いでエレーンの父親は娘のエレーンと
交際するように勧めます。
それを知ってかエレーンの母親は、ベンジャミンに誘惑をしかけます。
一度は未遂に終わりましたが、今度はベンジャミンから誘います。
母親の思惑は、なぜか自分の娘と交際しないようにしむけています。最後まで謎です。
エレーンが夏休みで家に戻ってから、ベンジャミンとの交際が始まります。

ところがエレーンの両親は、ベンジャミンとの結婚に反対します。
母親は自分からベンジャミンを誘惑しながらレイプされたと言い張り、そのせいで父親は
ベンジャミンの顔を見たくないと娘エレインの気持ちとは別に強引に他の人との結婚を進めていきます。
エレインは自分の気持ちの整理にもっと時間をかけたいと望んでいますが、両親もベンジャミンも
待ってくれません。
そこで逃亡事件が起きます。


ベンジャミンの求愛は、宗教とは関係ないので問題にならないでしょう。
通常米国の教会の結婚式では、結婚式の途中で二人の結婚宣言をする前に、
牧師は式参加者にこの結婚に異議のある人は申し出て下さいと問いかけます。
問題を抱えながら敢えて結婚する事の弊害を防ぐためです。
映画「卒業」は、社会通念に反対することに意味があると言う時代背景もあります。
親の体面を優先させたため起きた逆転劇ともいえます。
しかしサイモン&ガーファンクルが映画「卒業」のために作った歌「ミセス・ロビンソン」は、WASP
アメリキリスト教社会を痛烈にに批判しており、
ユダヤアメリカ人だからこの映画になったという話ではありません。
むしろユダヤアメリカ人だから問題になることが、アメリカの問題になります。

映画「終電車」  映画とユダヤ人

映画「終電車に見る「ユダヤ人問題」
1980年のフランス映画です。
1942年ナチスドイツ軍占領するフランスのパリには、占領下時代特有の閉塞感が支配しています。
映画の背景は、夜景と狭い場所での場面描写が基本に成り、ラジオから流れるシャンソンがその時代の色を現わしています。

夫ルカをユダヤ人の為地下に隠し、モンマルトル劇場の看板女優兼支配人となるマリオン・シュタイナーがいます。
マリオンは一人で看板女優そして新演劇の稽古と営業と作業員の世話やドイツ軍との接触・許可等を一人でこなします。
そのあと内密に地下室の夫の世話までしなくてはならないのです。
ルカの妻マリオンは、新人の相手役ベルナールへ惹かれていきます。
夫のルカはそれを見破りますが、責めるより進めるような行動をとります。
物語は映画「終電車」、こちらのブログに書いています。


この映画は、敵か味方かと言う政治的なものではなく、
人間の感情に訴えた映画で、背景として政治状況が描かれています。
私はこれをフランス的描写と呼んでいます。
ユダヤ人問題と言うシリアスな事を恋愛の背景に置くと言う精神を言います。
ユダヤ人狩りレジスタンスの密告・ロマ人迫害時代にあって、特にユダヤ人狩りには
一日に千五百通もの密告の手紙が来る(映画の中でマリオンのセリフ)と言うフランスです。
ユダヤ人排斥運動は、ドイツばかりでなくフランスでも民意として流れています。

2011年2月15日の日本のある新聞に「仏国鉄迫害に唐突な謝罪」との記事があります。
ナチス支配下ユダヤ人の移送に積極的な協力への謝罪。
1942年から44年まで一時収容所移送に協力する。
今まで謝罪を拒否しながら今突然なのは、米国事業受注狙いがあるからだそうです。
フランスの民意としてユダヤ人排斥が行われた事は、欧州キリスト教社会の「ユダヤ人問題」なのです。

映画「ソーシャル・ネットワーク」  映画とユダヤ人  

 映画「ソーシャル・ネットワーク」は、SNSで今流行のフェイスブック誕生物語です。
フェイスブック創始者は、マーク・ザッカーバーグハーバード大の学生の時にフェイスブックを立ち上げます。
フェイスブックはなぜ急速に登録者が拡大するのか?そしてジャスミン革命やエジプト政変から今やリビア政変まで影響拡大するのか?
フェイスブックの本質は、管理された情報を解放して既存(既得)権力を無力化する機能を持っている。
映画では、女学生のランキングサイト(フェイスマッシュ)を立ち上げ女学生から嫌われたのは愛嬌です。


マークの作った「フェイスマッシュ」は、たった2時間の間に2万2千件のアクセスがあった事にマークは驚きました。
映画に何度もこの言葉が出てきます。
ここから「フェイスブック」はスタートします。
そしてマークの技術を見込んだハーバードのWASPで特権的な社交クラブの学生から、「ハーバードコネクション」という
排他的なサイトを作る依頼がありました。
「これって排他的なサイトですよね」とマークは疑問を提示します?
学生の社交クラブの入り口でここから先は、会員でないと入れないとの話に違和感を感じるマークです。
その依頼を無視してマークが作り上げたのがザ・フェイスブックです。


ハーバードの学生なら希望者はだれでも実名で入会できる開放的なサイトです。
思想・信条・政治体制関係なしに広がるので既存権力側は対応に大変です。これからも拡大するでしょう。
マークに依頼したWASPの学生は、「ハーバードコネクション」を別名でサイトを作りましたが、
フェイスブックのおかげで寂れる一方だと嘆きます。
フェイスブックの素晴らしいところは、政治・思想・反体制・権力等一言も言わずに既存の権力・権力組織を崩す力があるのは
驚きです。
功利主義思想の再検討に繋がるかも-----。
功利主義の問題点は、最大多数の最大幸福と言いながら、実際は多数の貧しい者の犠牲の上に少数の富める者の行動を
自由に許可し貧富の格差を助成する点にあった。
今日のフェイスブックウィキリークス(SNS)の波は、少数富裕グループの権利・権力を保証しなくなった。
貧富格差の解消になれば、SNSは新功利主義の道を切り開きます。


ザッカーバーグは、名前からユダヤ系米国人と思われます。
映画でも突然ユダヤ人男子学生とアジア系女性は合うらしいとの会話がいきなり出てきます。
マークは、フェイスブック立ち上げ前から中国系米国人と今も交際しています。
先日パパラッチの写真に撮られていました。


ニュージーランド地震でもフェイスブックが緊急情報や生活必要情報にメディアの代わりに
役に立っているニュースを見ました。
国・政治体制関係なく有用なとこは、これからのキーワードになりそうですね。