映画 「ナチス、偽りの楽園」

映画とユダヤ
映画の原題 : 「Prisoner of Paradise (楽園の囚人)」

2003年   アメリカ制作
監督・脚本   マルコム・クラーク


ユダヤ系ドイツ人の俳優・映画監督クルト・ゲロンの生涯を描いています。
当時ナチスドイツに協力したとみられていたユダヤ人の天才映画監督ゲロンの生涯を、
一緒に舞台や映画で働いた人々の証言を基に作った伝記的なドキュメンタリー映画です。

クルト・ゲロンは1897年にドイツ・ベルリンに生まれ、はじめ医学生として学んでいたが
1920年に舞台俳優となります。
1920年代から1930年代にかけてコメディー俳優・映画監督として人気を博します。
マレーネ・ディートリッヒと「嘆きの天使」で競演しています。


ドイツではユダヤ人への締め付けがだんだん厳しくなり、アーリヤ人以外は
仕事をさせないとユダヤ人追放の指示があり財産を置いたまま
無一文でフランスに逃れます。
そんな中でも、ゲロンは友人をアメリカのハリウォッドに送り出す援助をします。

その後友人らの尽力によりゲロンは、ハリウッドから招かれますが、招聘主がゲロン夫妻に
一等室の切符を用意しなかったため断り、ヨーロッパに残ります。
これがゲロンの運命の分かれ道になります。
仕事を探してオランダに住み、友人たちはいかにドーバー海峡を渡って逃げるかを
考えているときに、辛抱してれば流れが変わりナチスが弱まることを期待していた。


ゲロンの思惑とは別に、ナチスドイツは1942年1月20日にナチスの幹部たちが集まり
ヴァンゼー会議を開きます。
ヴァンゼーとは、ベルリンのヴァン湖のことで、昔ゲロンが持っていた別荘のすぐ近くの別荘で
ヴァンゼー会議は開催され、そこで「ユダヤ人問題の最終的解決」が決められ
親衛隊NO.2のラインハルト・ハイドリヒにその実施が指示されます。
その内容は、ヨーロッパにいるユダヤ人を根絶すると言うホロコースト実施計画です。


ついにゲロンもオランダでドイツ軍に捕まり楽園と称された収容所に入れられます。
チェコにあるテレージェンシュタット収容所に入れられました。
そこはドイツに有用なユダヤ人と判断された人々が入る収容所で、通過収容所のような
施設です。
戦争中ですが中立国がユダヤ人をどのように扱っているかを、視察に来るために
ゆるやかに取扱い、国際赤十字をだましました。
赤十字をだませるなら世界を騙せると、テレージェンシュタットの映画を製作する計画を立て
ゲロンを映画監督に指名します。

1944年ゲロンは、テレージェンシュタットの人道性を示すためのナチスの宣伝映画を
製作します。
監督として楽しそうにしろ、笑顔を見せろとまるでナチスの肩をもつような要求を
繰り返しだすためにユダヤ人からは嫌われ、ナチスの手先と言われます。
映画監督の発言なのだが、死の恐怖を持つ人々に笑顔を要求するのは酷というものです。

撮影終了後、ゲロンはアウシュビッツに移送され、到着後すぐに処刑されます。
本人は、ナチス宣伝映画制作に協力したから処刑されないだろうと思っていたようです。
皮肉な事に、SS司令官のヒムラーはゲロン処刑の翌日に、ガス室閉鎖の命令を出します。
1日ずれれば助かったのにと思わずにいられません。
ボタンの掛け違いが、最後まで付きまとったゲロンの人生でした。