映画「卒業」    映画とユダヤ人

アメリカン・ニューシネマ時代
アメリカ映画には、人に希望と夢(アメリカンドリーム)を与えるものがありました。
そこにはハッピーエンドでヒーローが生まれます。
ところが1960年後半から70年代は、「俺たちに明日はない」・「イージー・ライダー
真夜中のカーボーイ」のようなアンチ・ハッピーエンド / アンチ・ヒーローの作品が
主流を占めます。
アメリカン・ニューシネマ和製英語)時代になります。
社会体制や社会規制に挑むちょっとしたカッコよさが描かれながらも、最後には潰されて
人間の無力感や敗北感を描くものです。
映画「卒業」もこの時代の先駆けとして1967年に公開されました。


その後70年代後半ベトナム戦争終結とともにアメリカン・ニューシネマから
「ロッキー」や「スター・ウォーズ」のような個人の可能性を描くヒーローもの
「ニュー・アメリカン・ドリーム」に移ります。


監督
マイク・ニコルズ監督は、父親がユダヤ系ロシア人・母親がドイツ人でナチスユダヤ人迫害のため1039年にアメリカへ移住したユダヤアメリカ人です。
映画「卒業」でアカデミー監督賞を受賞しました。
そのあと「クローサー」・「心の旅」・「ワーキング・ガール」等の監督をします。


ダスティン・ホフマン
ダスティン・ホフマンは主人公のベンジャミン役を演じ、ウクライナユダヤ系とルーマニア
ユダヤ系の血をひくユダヤアメリカ人です。
当時ホフマンは、新人俳優で30歳でこの役を演じています。
「卒業」の演技では、アカデミー賞男優賞ノミネートに終わりましたが、後の「クレーマー・クレーマー」・「レインマン」ではアカデミー賞主演男優賞を受賞しています。


主題歌
ポール・サイモンアート・ガーファンクルは当時「サウンド・オブ・サイレンス」で全米1位とヒットしていました。
映画「卒業」のために作られたのが「ミセス・ロビンソン」でこれも全米トップになります。
「スカボロー・フェア」はイギリス民謡の愛の詩と反戦詩をミックスしS&Gの歌となりヒットしました。
映画の主題歌はポール・サイモンアート・ガーファンクルが歌いともにユダヤアメリカ人です。
幼馴染の二人は当初「トム&ジェリー」の名で活動してます。
それがサイモン&ガーファンクルの名になったのはボブ・デュランだったと言われています。
本名を名乗らないでユダヤ系として成功したデュランを見て、迷った末に「サイモン&ガーファンクル」と言う
ユダヤ系とすぐ分かる人名を前面に出した名前で再デビューしたのです。


映画「卒業」のラストシーンは、反抗の世界ですがーーー。
略奪愛とか花嫁をさらうとか言われていますが、その内実は娘の親の都合から生まれた
親の路線への抵抗であり、ベンジャミンと式途中の花嫁が一緒に逃げる「親からの逃亡愛」です。
社会体制に反抗するような大げさな話ではありません。
大学を卒業したての若いベンジャミン(ダスティン・ホフマン)がエレーン(キャサリン・ロス)に出会い、
今までのいきさつとは別に、エレーンと結婚をしたいとの思いが周りを巻き込んでいく話です。
そしてキリスト教長老派教会での結婚式の最中に、ユダヤ系のベンジャミンが乗り込んで
花嫁と一緒に逃亡する話は、問題になりそうです。


映画の最初の方では、仲の良い両家はベンジャミンの卒業祝いでエレーンの父親は娘のエレーンと
交際するように勧めます。
それを知ってかエレーンの母親は、ベンジャミンに誘惑をしかけます。
一度は未遂に終わりましたが、今度はベンジャミンから誘います。
母親の思惑は、なぜか自分の娘と交際しないようにしむけています。最後まで謎です。
エレーンが夏休みで家に戻ってから、ベンジャミンとの交際が始まります。

ところがエレーンの両親は、ベンジャミンとの結婚に反対します。
母親は自分からベンジャミンを誘惑しながらレイプされたと言い張り、そのせいで父親は
ベンジャミンの顔を見たくないと娘エレインの気持ちとは別に強引に他の人との結婚を進めていきます。
エレインは自分の気持ちの整理にもっと時間をかけたいと望んでいますが、両親もベンジャミンも
待ってくれません。
そこで逃亡事件が起きます。


ベンジャミンの求愛は、宗教とは関係ないので問題にならないでしょう。
通常米国の教会の結婚式では、結婚式の途中で二人の結婚宣言をする前に、
牧師は式参加者にこの結婚に異議のある人は申し出て下さいと問いかけます。
問題を抱えながら敢えて結婚する事の弊害を防ぐためです。
映画「卒業」は、社会通念に反対することに意味があると言う時代背景もあります。
親の体面を優先させたため起きた逆転劇ともいえます。
しかしサイモン&ガーファンクルが映画「卒業」のために作った歌「ミセス・ロビンソン」は、WASP
アメリキリスト教社会を痛烈にに批判しており、
ユダヤアメリカ人だからこの映画になったという話ではありません。
むしろユダヤアメリカ人だから問題になることが、アメリカの問題になります。